大切なことは総て砂場で教わった

大切なことは総て砂場で教わった

2024年01月13日(土)

①お前が悪い

 いい天気。コーヒー最初の一口。清潔な店内。ありがたいとしか言いようがない。石川県地震のなくなられた方、ご冥福をお祈りします。また被災者のみなさんにおかれましては一日も健康で安心できる環境が整うようにお祈りします。

 ぼくは今暖かい日常を過ごさせてもらっている。この何気ない日常が一瞬にして崩れ去ったことを思うと何ともいたたまれない気持ちになる。

 情報の提供が精緻になり、細かな内容が溢れてくる。ウクライナ、ガザ、北朝鮮、台湾、中国、沖縄。

 先日、学校で。楽しく遊んでいた子どもたちがいきなり取っ組み合いの喧嘩。担任の先生が「離せ!離せ!」と言っても一向に聞かない。行ってみると相手の引きちぎるくらい強い力で髪の毛をつかんでいた。激しい憎悪。ぼくは努めて穏やかに「わかったよ。まず離そうね。」と言いながら大人でもかなりな力で指一本一本をはがしていった。ようやく二人を離し担任が一人を静かな場所に連れて行った。

「やられたらやり返す。」「おまえが先にやった。」「報復だ。」「あんなに殴られた」「蹴られた」

 この子どもの喧嘩。今は大人がやっている。国同士がやっている。「お前が爆撃した」「民間人を殺した」「報復だ」全く変わらない幼稚な論理だ。事情があるのは分かる。いや外野のぼくにはそんな深いことは分からない。でも髪の毛をつかんでいる「今」手をまず離そうよ、が何故出来ない?「だってこいつがはじめにやったからまず10人は殺させろ!」という負のスパイラルにはまりこんでいる、まずは「やめろ!」「やめよう」だろう。結局は為政者の利益のために罪もない人々が殺され、人質になり、難民となって苦しむだけだ。所詮分かり合え無いものだ、とうがった訳知りの答えは要らない。

②砂場

「うちの学校の砂場。かちかちでね。放課後先生方で耕そうと思ってたけど、出来なかったから今日の幅跳びは出来ないなあ。」と3年生の先生がぼやいていた。それを聞いて「あ、それなら理科の時間に子どもたちで掘りましょうか?」と提案。身体を動かしたい子どもたち。それに砂遊びも入れれば喜ぶのではないか?ということで「理科の時間、子どもたちと掘りますね。」

 ということで理科の授業。外で砂鉄を集める磁石の勉強とタイアップして砂場へ。「ここは君たちが幅跳びをやるために砂を柔らかくしたいのですがお手伝いできますか?」というと大喜び。「先生が一番困ることは何かわかる?」と聞くと「話を聞く」「ふざけない」「ちゃんとやる」という意見が。「あーそうだね。でもそれ皆出来てるよ。」「じゃあ何だろう?」「喧嘩しないでね。喧嘩してもめちゃうとつまらなくなるし、それを止めてるだけで遊ぶ時間がなくなっちゃウンだけ・・・・。喧嘩しないで出来る?」「出来る!」作業開始!

大まかに大きなスコップで掘った。何せ多勢に無勢。人海戦術。あっというまにかなり掘れた。「じゃあ大きいスコップを片づけて。」「小さいシャベル使っていいよ。遊ぼう!」とやりました。3年生大喜び。みんな山を作り始めました。楽しいねえ。山や谷がみるみる出来ていきます。砂の感触が気持ちいい。堅い固まりの砂を砕いて細かくするのも楽しい!「土、運ぶね!」「白砂まいて雪にしよう!」ぼくももちろん参加。「そこを掘るなよ。」「じゃまするなよ。」などの声が出てくるけど、でも直ぐに工夫し解決している。相手のことを考える。「大きいシャベル貸して。」昨日取っ組み合いの激しい喧嘩をしていた子だ。今日は穏やかに話していた。これは砂場と言う場の力があると思う。作業をしながら皆が楽しむ方法を工夫し学んでいける場として最適だ。何より単純に楽しい。