4191誰もが役者だ

4191誰もが役者だ

2024年02月03日(土)

①どんな人になるか?

「はい!斎藤でございます。どちら様でしょうか?」電話口に出ると普段とは違うトーンで話し始めますね。声は高くなり、やたら丁寧な話し方になります。自分ではあまり意識してないかもしれまっせんね。しかし、身内が電話口にでている様子を聞いているとすぐに分かりますね。そう、人は電話口で演技しているんです。こうしたことは、親しい人に会ったとき、または上司と話すとき、お客さんと商談するとき、など、きっと誰もがだいなり、しょうなり使い分けているのではないでしょうか?

 じゃあ、どれが「本当の自分」なのでしょうか?合氣道の先生と話すとき、学校管理職と話すときはかなり違います。管理職でも校長先生と話すときと教頭先生と話すときは違います。

 こんな様子を見ながら「本当の自分」はどれなんだろうと考えること自体あまり意味のないことだと思いますが、どうでしょうね。どれもが「自分」

②じゃあどんな自分でいたいのか?

 ここから。結局自分という人間を演じているんですね。としたら「どんな自分を演じたいか?」ということだと思うんです。鬱でマイナスな自分を演じるのか、明るく元気な自分を演じるのかは実は自分の心次第ってこと。

③総ては自分のせい?

 合氣道では組技を使ってあえてストレスをかけ、相手を敵としてではなく、相手と一体となり相手のやりたいことをさせる、ということにある。手を捕まれたとき「あー、もう自分は捕まってしまって駄目だ!」と思ってしまうけど、捕まれた手首だけであり、ほかに動かすところ、自由な場所はいくらでもある。「捕まってしまった」ととらわれてしまうのは自分の心だ。手首にだけ執着していると言っていい。それに気づき、そこから自由になれるのが稽古だ。自分はいつでも自由であり、本来いつでも自由だ。そしてそれを縛ってしまうのは実は「自分」なのである。「完全に駄目」なのか

「自由なところはいくらでもある」は自分が決めている。これを自覚するのはなかなかに厳しいことだけど、本当には自由であり、楽な生き方になる。しかしなかなかそうは思えない。「世の中」「仲間」「上司」「敵」のせいにしたくなる。実はその方が自分で努力するのではなく「他人のせい」で生きれる。これが実は楽だからだ。「人のせいにしていたら楽でしょ?」と言うと激怒されてしまうかもしれない。「そんなにうまく行くはずがない。」「要は心の持ちようだってこと?そんな簡単なことじゃない!」と言われてしまう。しかし「心の持ちよう」なんだな。自分が決めていること。自分が「他人からいじめられている」という役を演じていることだ。

 それをまずは気付くこと。そして受け入れること。そのことが分かれば、いろいろなことがほぐれてくる。

 困ることがあると八方ふさがりと考えがちだ。しかし、そう「決めている」のは自分自身なのだ。

「理屈としては分かるけど。」と言われる。確かに。しかし、それは本当の意味で「分かった。」ことにはなっていない。頭の中で「理解」したことは本当に分かったことではない。身体に入れるには時間がかかる。何度も繰り返し自分に入れるようにしていくしかない。それはとても地道な積み重ねだ。